「人は苦しいとき、自分より下を見て身代わりを探す」 映画に出てきたこの言葉、今の日本そのものだなって思わされました。自分がしんどいとき、余裕がないとき、自分より弱い立場の人や「違う」人を叩いて、なんとかバランスを取ろうとする。そうやって誰かを排除して分断を作ることで、自分の正しさを保とうとする。それは地域でも、福祉の現場でも、すぐ隣にある現実です。
でも、この映画が教えてくれたのは「かわいそうだから助けてやる」っていう上から目線の善意じゃない。「連帯」なんですよね。
「善意」は、どうしても「あげる側」と「もらう側」に分かれて、そこに上下が生まれてしまう。でも「連帯」は、同じ痛みを持つ者同士が、同じ地平で手を取り合うことです。きれいごとじゃなくて、泥臭く、対等に。
そのために必要だったのは、立派な議論でも高尚な理念でもなく、ただ一皿の温かい料理を囲む「テーブル」でした。古いパブの奥の部屋を改装して、ただ「一緒に飯を食う」場所を作る。そこには国境も、障害があるかないかも関係ない。ただ人間としてそこに居られる場所があるだけで、人は少しずつ変わっていける。
もちろん、そんな場所を維持するのは本当にしんどいことです。悪意一つで簡単に壊されるし、報われないことの方が多いかもしれない。それでも、誰かが下を向いて身代わりを探してしまうようなこの社会で、境界線の扉を閉めずに、ただ温かいスープを出せる場所を守り続ける。
自分はそれを、続けていく。「一緒にここにいよう」と言える場所が、この町に要るから。それだけ。