LOADING

コンテンツ CONTENTS

——日精協の要望書と、議論の「粗さ」の先にある本質

先日、日本精神科病院協会(日精協)が厚生労働省に対し、「障害福祉サービスへの営利法人の新規参入停止」を求める要望書を提出しました。山崎學会長の「悪貨が良貨を駆逐している」という強い言葉は、業界に大きな波紋を広げています。

確かに、一部の営利法人による「軽度者の囲い込み」や、支援を置き去りにした「報酬目当ての運営」は、現場感覚としても実在する深刻な問題です。しかし、今飛び交っている議論の多くは、あまりに「粗い」と言わざるを得ません。

就労継続支援B型事業所に関わるサービス管理責任者として、この「粗さ」を整理し、議論すべき本当の「本質」を考えます。

1. 「入口」を塞いでも「質」は担保されない

日精協の要望にある「営利法人の参入停止」や「報酬1/3」という処方箋は、診断と治療が致命的に噛み合っていません。問題の本質は「法人格(営利か非営利か)」ではなく、提供される「サービスの質」とそれを評価できない「制度」にあります。

「社会福祉法人だから善」で「株式会社だから悪」という短絡的な思考は、既得権益の防衛と捉えられても仕方がありません。入口規制という「属性」で線を引く発想は、まじめに運営する民間事業者を一掃し、結果として利用者の選択肢を奪うリスクを孕んでいます。

2. 「体感値」のぶつけ合いを超えて

一方で、この要望書への反論の中にも「自分のいた営利企業は教育が充実していた」といった個人的な体験談を根拠に制度論を語るものが散見されます。しかし、個人の成功体験もまた、議論を粗くする要因です。

「大きな主語」で断罪する要望書に対し、「小さな主語」の主観で対抗しても、それは平行線のままです。私たちが今、真に議論すべきは、個人の善意や法人の形態に頼らない「客観的な評価指標」の構築ではないでしょうか。

3. 本質的な課題:報酬設計の「歪み」と「評価」の欠如

なぜ「悪貨」が生まれるのか。それは現行の報酬設計が「手のかからない人を多く、長く抱えるほど収益が上がる」という歪んだインセンティブ構造になっているからです。

この構造的な欠陥を打破するためには、従来の「何人受け入れたか」というプロセス評価から、「利用者の人生にどのような変化をもたらしたか」というアウトカム(結果)評価への転換が不可欠です。

しかし、ここで最大の障壁となるのが「福祉におけるアウトカムとは何か?」という定義の難しさです。就職者数や症状の安定といった画一的な指標だけでは、福祉が持つ多面的な価値をこぼし落としてしまいます。

4. 既存の指標を問い直す「実験」としての挑戦

今、私たちが京都の町中華「北京亭」を「ぽっぽ食堂」として再生させようとしている挑戦は、この「アウトカムの再定義」を模索する一つの実験でもあります。

私たちが着目しているのは、既存の評価制度では十分に掬い取れてこなかった、以下の2つの視点です。

「地域資源の継承」という社会的価値:単なる作業の提供ではなく、廃業の危機にある地域のレガシーを福祉が守ることで、地域コミュニティの持続可能性にどれだけ寄与したか。

「役割の獲得」という実感の再構築:古くから支援の現場で語られてきた概念ですが、これを「客観的な変化」としてどう捉えるか。支援される側だった人が、地域の「担い手」として必要とされる関係性を、具体的にどれだけ築けたか。

これらは、これまでの二次元的な議論では、重要性は語られつつも「報酬の物差し」としては不十分だった領域です。こうした「地域への貢献度」や「個人の誇りの回復」を正当に評価し、制度に組み込んでいく試みこそが、真の意味での「第三の道」を探る鍵になると考えています。

結びに:問われるのは「良貨」としての証明

「悪貨」を排除する仕組みは必要です。しかし、それは新規参入を止めることではなく、私たち現場の人間が「自分たちはどのような価値(アウトカム)を社会に提供しているか」を問い続け、証明し続けることでしか成し遂げられません。

数字や制度の議論のその先へ。
既存の枠組みや環境的な制約に葛藤を抱えながらも、より開かれた「食堂」という場所で自分らしい役割を見出そうとする仲間たち。彼らと共に、私たちは新しい福祉の物差しを、この現場から一つずつ形にしていきたいと考えています。