デイミアン・ミルトンの「二重共感問題」についての記事を読んだ。
「二重共感問題」横道誠
正直に言うと、最初は下らんと思った。 当たり前のことを、わざわざ難しくこねくり回して書いて、何がしたいんやと。コミュニケーションがすれ違うなら、お互い様。人間関係なんだから、どちらか一方だけが悪いなんてことはない。普通に生きていれば、誰だって肌感覚で知っていることだ。
でも、支援者として現場にいる自分の過去を振り返ると、少しだけぞっとする。
2012年以前。いや、もっと最近まで、少なくとも支援や教育の現場では、この「当たり前」は決して当たり前ではなかった。自閉症の人とのコミュニケーションが失敗したとき、その原因はつねに「彼ら」の側にあった。「共感力がないから」「空気が読めないから」。そうやって、彼らの問題として処理されていた。
当時の支援の目的は、彼らを訓練し、私たち「定型発達」というマジョリティの正解に近づけること。それが科学的に正しいアプローチだと大真面目に信じられていたのだ。「定型発達の側にも問題があるんじゃ?」なんて口にすれば、トンデモ扱いされるような時代だった。
だからミルトンは、あえて論文という難しい武器を使ったのだろう。ガチガチに固まった専門家たちの「常識」をひっくり返すには、同じ言葉で、同じ土俵に立つしかなかったのだ。
今、この記事を読んで「なんだ、当たり前のことじゃないか」と拍子抜けしてしまうこと。 それはつまり、この論文が長い時間をかけて影響力を持ち、支援の世界の常識を本当に変えてしまったという、最大の「成功の証」なのだ。
こちらの常識が通じないとき、ふと「相手が悪い」と思いたくなる瞬間は、きっとこれからもやってくる。
そういう時は、この難しく書かれた「当たり前」を思い出そうと思う。 またぞっとするために。